「Chapter07 メモをとれば、オリジナルのテーマと資料が自然に揃う」を読む
英語版では「Nobody Ever Starts From Scratch」
Chapter07 メモをとれば、オリジナルのテーマと資料が自然に揃う
白紙からは何も生まれない
書き始める前にテーマを決めるのは無理
関心のある内容のメモを貯めておくと、自然に文章の主張が浮かび上がる
ツェッテルカステンを使うと、書くことが多すぎて困るほどになる
この章には何が書かれているのか
白紙からは何も生まれない
ものを書くプロセスは誤解されている
重要な最初のステップは「トピック選び」だとされている
但し書きで「これは理想のプランであって、実際にはめったにこのようにならない」とある
著者はなぜ現実的な行動を教えないのかと疑問
rashita.iconしかし修辞疑問にすぎない。冷静に考えれば、「理想のプランをイメージし、実際はその通りにいかないなりになんとかやっていくこと」こそが、それぞれの人の現実的な行動だから。
rashita.iconあたかも大切なことを教えていない、嘘を教えているというようなニュアンスが醸し出されているが、実際にそれぞれの人はそういう風にやっていているのだろうという仮説は十分に成り立つし、検証する価値がある。
トピックを決めるには、ひとつのトピックに関する文献だけでなく、大量の文献を読んでいなければならない
rashita.iconたしかにその通り
何を読み、何を読まないのかは、事前の理解に基づいている
rashita.icon間違いではないが、「事前の理解」だけに基づいているわけではない。学生なら教授からの示唆がありえるし、独学だって先行者の物まねというやり方もありえる。
あらゆる知的な試みは、もともともっていた先入観に元づいてはじまる
そこから修正され、発展し、また修正されという循環をたどっていく
ハンス・ゲオルグ・ガダマー「解釈的循環」
rashita.iconで言えば、Re:vision
rashita.iconこの話は上記とどう関係するのか?
最初にトピックを決めて、進めるというのは理想でしかなく、やっていくうちに変わっていく、ということをむしろ補強しているだけではないか。
なんであれ、とにかく何かを決めないと始まらないのだから。
たとえ後々修正することになっても、まず何かしらの「トピックを選ぶこと」は一つの起点になるだろうし、短い期間であってもそれはポラリスになってくれる。
書き始める前にテーマを決めるのは無理
物書くことは、「白紙から初めて、決められた順番にそって一直線に進めることができる」かのように教えられる
rashita.iconどこで、だれが、こういう教えかたをしているのか。
上記で「但し書き」があると述べられていたが、そうした本はこの範疇に入っているのか、いないのか
あたかも無からすぐれたアプトップを生み出すことが可能かのように、と著者
rashita.icon本当にそうかな。かなり恣意的な解釈に思えるけども
書きはじめる前にテーマを決めるのは、間違っているか、陳腐なアドバイス
rashita.icon前項ではテーマではなくトピックの話をしていたが、これはどうなっているのか。
前節でトピックの話をし、本説でテーマの話をしているのか、その二つを区別せずに雑に論じているだけなのか
テーマに没頭するには、手を動かして書かなければいけません。書くことは、あらゆる営みに伴います。ペンを握って読み、アイデアを発展させ、成長し続ける思考のプールを自分の外に構築します。そしてそれは、自分の関心、好奇心、直感に導かれるべきです。
rashita.iconあらゆる営みというのは生活全般のことなのか、単に知的な試みのことなのか
rashita.icon「導かれるべき」であるのはなぜか
rashita.icon上の二つの項目はそれらしいことが並べられているが、結局何がいいたいのかわからない。そもそも内容の整合が検討されていないように見える。
関心のある内容のメモを貯めておくと、自然に文章の主張が浮かび上がる
ツェッテルカステンは、「実際に読み、考え、議論し、書き、アイデアを発展させる作業」によって形成され、充実していく
rashita.iconこれを行わなければ充実しない、というごく単純で、しかし重要な指摘
関心のある内容に集中し、知的成長を記録することで、無理にひねり出さなくても問いや主張が資料から浮かび上がるようになる
rashita.icon本当にそうなのかはフラットに疑問。そういうことは起こりそうだが、どのくらいの確率で起こるのかは判然としない。それっぽさはある。
無理やりひねくり出す必要がなく、トピックや研究上の問いを見つけるのが「簡単に」なる。
rashita.iconこれは、こうした方法を使わないときに比べれば簡単になるという意味で、それが赤子の手をひねるようなものだという意味ではおそらくないだろう。
ツェッテルカステンから生まれたあらゆる問いは、アウトプットのための資料が自然と揃う
rashita.iconというか逆で、アウトプットのための資料が揃っているものしか問いが生まれない、ということだろう。
ツェッテルカステンをチェックして、情報が集まっているところを観察すると、「これから扱うトピック」だけでなく、「すでに取り組んだトピック」もある。
rashita.iconこの「すでに取り組んだ」は、何かしらのアウトプットを生み出した、という含意だろうか。
「私たちの前にあるのは白紙であってはならないはず」
rashita.iconあってはならないはず、というのは面白いというか奇妙な表現。
そう考えて行動すれば、今後は文字通り二度と白紙からスタートすることはないだろう
rashita.icon僕はツェッテルカステンをやっておらず、走り書きメモを残しているだけだが、それでも「白紙からスタート」することはない。二三行の走り書きメモがあるだけで随分違う。本書が言う「白紙からスタートすることがない」が、どういう強度・水準で述べているのかがあまりはっきりしない。もうすっかり材料が揃っている、というレベルまでの話を指しているのだろうか。
「白紙からスタートしていると信じている人も、本当に白紙から始めているわけではない」
rashita.iconですよね。
その事実に気がついていなかったので、アイデアをたどることができず、資料も手元に揃っておらず、出典も用意されていない
書くことのうちに、上記用なプロセスが組み込まれていないので、まったく新しい状態からはじめるか、アイデアをたどり直すかしなければならない
rashita.icon著者がいう「白紙から始める」が具体的に何を指しているのかだんだんわからなくなってきた。「本当に」がつくことによって、議論の幅が広がっているというよりも、用語の混乱が生じている。
適切なメモの取りかたが教えられることはめったにないので、文章術がブレストからはじめるのは無理もない
rashita.iconここでフォローするなら、最初の方で書いておくのがまっとうではないか
rashita.iconあと、著者も書いているが、あと二ヶ月で論文を書き上げなければいけない、という人にとって必要なのはツェッテルカステンではなく、そうした文章術であることも確か。どの段階で必要となる(あるいは有効性を発揮する)のかという水準が違うだけであって、片方を下に見るのは自らの強調のためのレトリックとは言え、あまり気持ちの良い議論ではない。
ツェッテルカステンを使うと、書くことが多すぎて困るほどになる
脳だけを頼るのはよくないので、書くことを通して行う。
rashita.iconもちろん「書くこと」で脳は使用されるわけだから、情報の保管場所としての信頼度が低いということだろうし、それはたしかにその通り。ただし脳は、いくつかのヒントから情報を想起できる記憶力はあるわけで、その点も抑える必要はある。
それらは従来の方法を見直しても解決しない。「書くことは順番通りに一直線にできる」という話が作り話だから。
rashita.iconそういうのは「あくまで理想だけども」という但し書きがあったのではないか。但し書きがあるものは少なくともこの批判には当たらないのではないか。
書くことは一直線のプロセスではなく、循環するプロセス
rashita.iconこれはまったく正しいのだが、『思考のエンジン』でさんざん確認してきたのは、書かれる一つのドキュメントは「一直線のもの」であり、それに適した形式で整えることが求められる、という点。この点が議論されない限り、深みのある内容にはならないだろう。 ツェッテルカステンを使うと、書くトピックが見つからないの問題が、書くトピックが多すぎる問題に変わる
rashita.icon日常的にメモをしているだけでこの問題は生じる。
書くことを通じて思考を発展させている人は、その時点で関心のあるテーマに引き続き集中できますし、やりたいことをやっているだけで大量の資料を蓄積できます。
rashita.iconこれはたしかにその通りだろう
最もよく振り返る問いを中心に資料が増えていくので、自分の関心から遠く離れてしまう心配がそもそもありません。
rashita.icon「最もよく振り返る問いを中心に資料が増えていく」がよくわからなかった。そんな話は出ていたか? 自分が興味あることをやればいい、興味がないことはしない、という話しかなく、それは人によってはテンデバラバラな関心事に拡散して、何も重みづけが見つからないことになる可能性はないのか。
あと「最もよく振り返る問い」というのは何か? 問いを振り返りましょうという話はなかった。
おそらく、新しいメモを書くときに、自分の既存の文脈にどう関係しているのか考えましょうという話があったので、そこに「問い」が含まれているということが、ほとんど自明なものとして扱われていたということだろう。ここまで推測で内容を埋めないと、かなり飛躍を感じる。
最初に選んだテーマがそれほど興味深いものではなかった場合には、他のテーマに移りましょう。そうすれば、メモは次の手まー野まわりに集まるようになります。
rashita.iconこれがいわゆる論文の書きかたで言われる「まずテーマを選ぶ」で実際に行われていることだろう。
ある意味極めてまっとうなことを言っているのだけども、あたかもそれを他の本は言っていないという見立てを作っているとこに不信感を覚える。
こうしたことを続ければ、書くテーマを決めるときがきた時点で、テーマはもう決まっています。
rashita.iconテーマが決まるまでの十分な期間を見据えて、かなり前から準備する必要がある、ということ
rashita.iconあと、テーマが多すぎる状態でどうやってテーマを決めるのか、ということの示唆がない
「毎日繰り返しながら決断している」とあるので、おそらくは漫然と情報を集めるだけでなく、テーマについて意識的に考えておくことが必要ということだろう。
まとめ記事